日本現代史 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official
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知識人とファシズム―近衛新体制と昭和研究会知識人とファシズム―近衛新体制と昭和研究会
(2011/03/18)
マイルズ・フレッチャー

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This book analyzes the elites in academic area in the world war second. According to an today's accepted theory, they were pressured to change their opinions by tne Japanese government, and keep silent in the period of the War. Though, the writer revealed that the elites in the academy aggressively supported the government policies such as 'the Greater East Asia Co-prosperity Sphere' on the basics of their knowledge of politics, economics, and public philosophy. To make the thing worse, the successors of their elites kept secret their teachers' opinions and actions after the war.

 著者はノースカロライナ大学の先生。

 戦前の1930年代に近衛文麿氏のブレーンとなった昭和研究会のメンバー、蠟山政道、三木清、笠流太郎の3氏の動きを分析している。

 蠟山氏は東京帝国大学の政治学の教授、丸山真男氏の師匠。三木氏は京都帝大を卒業した哲学者。笠氏は、東京商科大学(現一橋大学)をでたエコノミスト。いずれも当時の超エリート。

 著者は、この三人が、昭和研究会を開き、東亜共同体構想など、ファシズムに影響を受けつつ、陸軍の動きを支える思想活動をした背景には、国策に影響を与えたいのに、権力から離れていることへの焦慮があると指摘している。(p16)

 日本で最高の教育を受けた知識人がなぜ道を誤ったのか。自分なりに整理してみる。

(1)エリートは愚昧な庶民や政治家より優れているのだから、政治を引っ張るべきというエリート意識があったこと。

(2)政治思想は時代ととともに変わりうるという柔軟な思想を持っていたが、一方で、ヨーロッパ崇拝主義があって、イタリアやドイツのファシズムの動きを新しい世界の動きと誤解したこと。

(3)自分の新しい政治思想を国策として利用しようとして、官僚、軍部に近づいたこと。

(4)政策の対象として、ミクロの国民という視点ではなく、マクロな、当時の学者がよく使う、有機体としての、協同体としての国家を概念していたこと。

(5)当時としてはやむをない面もあるが、統制経済、計画経済の問題点を理解せずに、市場メカニズムを破壊しようとしたこと。

 そして、最も重要なことは、このような戦時中に近衛氏や軍部に協力した政治学者、哲学者、経済学者を、例えば、丸山真男をはじめとする戦後を代表する学者たちは、自分の恩師であることから、意図的に批判をさけ、その行動についての歴史的評価を避けたこと、そして、国民からその存在を忘れさせたこと。

 この蠟山氏などの行動や思想を追いかけてみると、その場面、場面では、極端な変革を避け、漸進的に社会改造をしようとしたことなど、理解できる部分があるが、結局、エリートの自己実現の「欲」が、体制へのすり寄りを誘導したのだと思う。また、流行の欧米思想をなんでも大事にする発想も注意が必要なことがわかる。

 もっと、真摯に学識経験者は戦時中の恩師や先輩の行動を批判し、同じ過ちを繰り返さないための、思想の枠組みをどうやって構築すべきかについて、何度も国民に語りかける必要がある。恩師だから批判しないというのでは、日本は進歩しないと思う。
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蒙古襲来蒙古襲来
(2014/12)
服部 英雄

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 最近でた本。新聞の書評とHONZで紹介していたので、衝動買い。

 文永の役で、第一回目の蒙古軍を一晩で神風が敗退させたというのは、「八幡愚童訓」という八幡神の偉功を示す本だが、実録としての価値はないとのこと。「勘仲記」や「蒙古襲来絵詞」などをベースにすると、文永11年10月20日上陸、20日深夜夜戦、24日太宰府会戦、27日ごろ撤退とのこと。(p116)
 ちなみに、西暦では10月20日は11月26日なので、台風はこの時期ありえない。(p162)
  
 また、蒙古軍に対して、「やあやあ」といって戦いを武士が挑んだというのも誤解、神話で主に夜戦を双方ともしかけたとのこと。

 弘安の役では、蒙古軍が東路軍と江南軍にわかれ、前者は5月3日対馬到着、8日までに全島掌握、15日に壱岐、26日に志賀島、6月6日に志賀島増派、6月27日に一部が鷹島に移動、後者は7月15日に鷹島到着で、閏7月1日台風と想定する。

 6月6.8日に志賀島での合戦、6月29から7月2日まで壱岐島合戦で、日本が反撃をした。7月1日の台風は蒙古と日本に同等の被害をもたらしたが、7月7日の鷹島合戦では、日本軍が一日で圧勝した。

 その他、そもそも文永の役のきっかけは、日本が南宋に対してコメと火薬の原料である硫黄(中国ではあまり産出しない)を押さえようとしたこと、当時の満干潮の時期から夜戦の日時を特定するなど、説得力ある記述おおし。

 弘安の役では、蒙古の騎馬の進入を防ぐための石築地(1.5m程度)を整備するなど、万全の措置を日本が講じた結果でもあり、かつ、当時奮戦した武士からすれば、台風のおかげで勝てたというのは自分の武勲にもかかわるので、神風のような発想は当時は存在しなかった模様。

 なんだか、高校の日本史の教科書も書き換えが必要か?小生の手元にある「詳説日本史研究」(山川出版社2008年版)p151では文永の役は一晩で退却、弘安の役も7月の台風で元の大船団が壊滅したと書いてあるが、確かに、一日で帰国するとか、蒙古軍だけが台風に影響を受けるとか、指摘されるとそもそもおかしい歴史だなと思う。「神風」バイアスだね、きっと。

 
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戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか
(2013/05/28)
NHK取材班、北 博昭 他

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 キンドルの日替わりセールかなにかで何気なく購入。

 NHKが2012年8月に放送したNHKスペシャルを本にしている。

 日本軍がフィリピンで敗走し壊滅状態になったときに、その時点で、中田富太郎という海軍上等機関兵を、当時の海軍刑法では、敵前逃亡でないと死刑にできなかったのに、敵前でなくて、食糧不足で部隊を離れたため、死刑にした事実を、発掘し、その死刑の判断には、東京帝国大学法学部をでた法務官が関与していたことを、詳細な取材の中で明らかにした本。

 戦争が始まっても、当初は、法務官は法の正義を守ろうとしたが、敗走して混乱状態になり、兵士が食糧がなくなり、無断で部隊を離れて、食糧探しに脱走するようになると、法の正義もひったくれもなくて、どんどん銃殺していった事実が、当時のフィリピンにはあるらしい。

 その後、その法務官たちは、みんな口をつぐって、戦後、弁護士や裁判官など大物になって日本の戦後の司法秩序の中枢にまで駆け上がっている。

 この本は、たまたま、馬場東作という法務官が詳細な日記を残していたので、その一端が明らかになった。

 また、銃殺された兵士の遺族は、今をもって遺族年金も受け取れず、また、周囲から冷たい視線を浴びながら苦しい生活を送っていることも事実。

 法律は社会秩序の上澄みのようなもので、そもそも社会秩序が壊れた戦争状態、特に敗走状態ではあっけなく、法の正義も失われることがよくわかる。

 また、東大法学部の先輩たちが、法の正義を守るという理念で海軍や陸軍に入ったものの結局、法の秩序を破る側にまわったという歴史的事実も、自分を顧みる上でも貴重なことだと思う。

 ちょっと、法律関係者に紹介したくなったので、書評をアップします。
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喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)
(2006/02/11)
清水 克行

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 確かの池田信夫さんのブログで紹介されていたので購入。どういう文脈で推薦されていたのか失念。

 後半の喧嘩両成敗という法原理が生まれてきた記述もおもしろいが、その前の室町時代の法秩序がない自力救済の時代の状況分析が極めて衝撃的。今の日本からは考えられない。

 まず、公家、武士、僧侶、町人、その他の人々がみな刀で武装していて、通りでの些細なできことですぐに殺傷ざたになる。そうすると、それぞれが属する組織同士の争いにすぐ発展して、それを納めるために天皇の勅許までだしても、それでもおさまらないという事態になる。

 極めて自尊心が高く、それが傷つけられると激高する当時の日本人の姿と、それを法的な秩序ではなく、それぞれの属する共同体同士の争いで決着しようとする自力救済の世界が詳細に資料で描かれていて、今の法秩序に守られていて、なんとなくモラルのいきとどいた日本社会との格差に愕然とする。

 イスラム国家の今の現状と同じだなと思う。要は支配体制がなく、権力機構が自ら法秩序を守れないときの自力救済の社会はテロの繰り返しになるということ。

 この本の本論は、その状況の中で、人々が衡平、相当と考えられる手段として生み出した、人を殺した本人を「切腹」させる方法とか、「下手人」と称して、人を殺した共同体から誰かを差し出して、その「下手人」を殺さずに帰すことで殺戮の連鎖を止める方法などが生まれてきた。しかし、それでも、納得しないとか、激高して「下手人」を殺すなどの事態になると収拾がつかなくなる事態が続いていた。

 そこで、統治機構が整ってきた、戦国時代の武田家や今川家などで採用されたのが喧嘩両成敗法。しかし、この理非によらず双方とも成敗するという原則には例外があって、その場では反撃せずに耐えて、その旨を統治機構に申し出た場合には、一方を成敗する、という規定がついている。

 このことから、著者は、自力救済から、喧嘩両成敗法は、統治機構の判断への誘導するプロセスだったと分析する。

 さらに、江戸時代に入り、100年ぐらいかけて、自力救済の撲滅と喧嘩両成敗という原則の方を非合法化して、法による統治を実現していった。この意味では、時代劇にでてくる「親のかたき~」というシーンも江戸時代は違法だったことがわかる。

 なお、赤穂事件については、吉良が浅野から斬りかかられても手向かいしておらず、当時の法なり法の運用からも浅野だけが処罰されるのが妥当だったが、当時の世間では、まだ、喧嘩両成敗の戦国時代の感覚が残っていて、世間が「片落」(片手落ちの意味)で批判が高まったため、赤穂事件のあと吉良家も断絶するという喧嘩両成敗を行った、という例外的な事件と分析している。

 なお、現在の損害賠償法である過失相殺も、中世から続く痛み分けの思想が反映されているそうで、諸外国の法には存在しないとのこと。

 意外と、中世からの日本人の意識は面々と続いている側面もあると痛感した次第。あと、喧嘩両成敗は、自力救済から法秩序に意向する戦国時代の一部で生じた法だが、江戸時代には制度化されたことはなく、必ずしも一般化した法秩序ではなかったという事実認識も大事だと思う。

 法秩序がなくなると、激高してすぐ斬りかかる、中世のような激情タイプの日本人の性格が受け継がれてないといいと祈るばかり。

 参考文献『法窓夜話』(岩波文庫)
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二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?―人口減少社会の成長戦略 (文春文庫)二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?―人口減少社会の成長戦略 (文春文庫)
(2007/08)
猪瀬 直樹

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 ぼくの小学校時代も石かコンクリートづくりの二宮尊徳像があった。

 でも歩きながら勉強したという話以外あまり記憶にない。

 小田原藩の家臣の服部家の経営コンサルタント。

 服部家自体の支出を「分度」といって節約させるとともに、領地の農民の意識改革と借金を低利の資金を提供して借り換えさせて、やる気を出させて、その回収資金をファンドにして、さらに、収益のあがる事業に投資する。

 江戸時代でも、士農工商の枠を取っ払って自由に商いをできた部分では成功したが、小田原家本体や幕府の場合には、経営コンサルタント的な業務に実際に歳出削減までする権限が与えられず、失敗している。

 入ってくるより、たくさん、本来所得をあげない武士階級が消費したら、それは収支が改善するはずがない。

 国債という仕組みは、フランスよりも議会がつよく王へのチェックがきくことからイギリスで発達し、これによって戦費をまかなうことによって、イギリスは覇権国になった。しかし、これには厳しい議会のチェックが前提となっている。

 現在も、アメリカでも厳しい議会チェックで連邦政府の業務が止まりそうになったりするし、ドイツでは財政均衡がドイツ基本法に明記されている。日本はプライマリーバランスというごまかしのきかない指標から、累積債務の対GDP比という、わかりにくい、インフレとかで簡単に比率がかわる指標に変えたが、それが分度を破る趣旨ではないことを祈りたい。
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プロフィール

佐々木晶二

Author:佐々木晶二
現役国家公務員(現在研究休職中)です。
早朝、毎日、一冊以上の読書を目指しています。
今は、平日は、都市計画と東日本大震災関係の本を読んでいます。
休日は、海外情報、古典、歴史など、幅広く教養をつけるための本を読んでいます。

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