2014/07/02
宮田親平『科学者の楽園をつくった男』を読んで、今の理化学研究所が政治的な圧力を避けて自由闊達に研究できているのか?
「科学者の楽園」をつくった男:大河内正敏と理化学研究所 (河出文庫) (2014/05/08) 宮田親平 商品詳細を見る |
大正5年に設立された理化学研究所。
政府のお金も一部はいったが、もともとは企業の出資と、それから研究所で発見した特許を活かした商品を販売する子会社をたくさんつくって、その特許料でまかなっていた。
もちろん、戦争末期には、原子爆弾の研究とかレーダーの研究など軍事関係の研究に押されていく。
しかし、戦争が激しくなるまでは、脚気にきくビタミンAの販売とか、人造酒の販売など、いろんなビジネスの会社をつくって収益をあげつつ、研究者には、能力主義で、人を選んで、そこに研究費をわりあてて、自由に研究する、研究する分野も、卒業の時の研究室にかかわらず、物理学でも化学でも理学でもなんでも自由に選んで研究室に採用する。
そういう自由な雰囲気をつくった人間として大河内正敏氏が描かれている。
そもそも第一次世界大戦の時の日本の技術力、特に基礎技術不足から、民間企業や学者が声をあげてつくりあげた組織だが、今もあまり事情はかわっていないのではないか。
基礎技術から、思わぬ応用技術がでてくるのに、政府が大きな方針や応用分野をきめて、そこにお金を集中投入するという発想がまだ残っているのではないか。
また、様々な政府の研究機関、独法の研究機関とういのも縦割りで、自由度がないような気がする。そもそも研究費に膨大なお金をつかう余裕が今の政府に長くあるとも思えない。
むしろ、民間企業と学者が中心になって、基礎から応用まで広く行う、この元の理化学研究所の歴史にならった、自立的な研究所をつくるべきではないか。
大正時代の学者や実業家の方が天下国家を議論しているのでは、現在の企業家や学者は恥ずかしくないのか?
スポンサーサイト