筒井清忠『二・二六事件と青年将校』を読んで、客観的な新事実あり。 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official

--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
pagetop

2014/10/19

筒井清忠『二・二六事件と青年将校』を読んで、客観的な新事実あり。


二・二六事件と青年将校 (敗者の日本史)二・二六事件と青年将校 (敗者の日本史)
(2014/07/22)
筒井 清忠

商品詳細を見る


 なんで購入したは不明。

 1936年の2.26事件については、軍法会議資料などが公開されてきていて新しい事実が発掘されてきている。

 自分が新たに知った事実。

(1)皇道派の真崎甚三郎は、前年から皇道派に近い海軍の山本英輔海軍大将との連携、従来反対派と考えていた建川美次を陸軍大臣とするプラン、橋下欣五郎大佐との接触など、皇道派復活の動きをしており、青年将校の暴発は予測したものの、自分の政治工作が破綻することへの失望が大きかったこと。(p221)

 ちなみに、真崎は、軍法会議で無罪。

(2)二.二六事件以降、皇道派が退潮したのち、最初は石原完爾が率いる石原派が増加したが、石原が満州に左遷することによって、いわゆる統制派が力を伸ばした。しかし、永田鉄山が惨殺されて以降の統制派は特段の思想もなく、旧統制派というべき存在。また、二・二六事件以降も石原派と統制派などの派閥抗争は続いていた。(p226)

(3)戦前の現役軍人は、選挙権、被選挙権、政治的意見の表明など政治参加の道を全て閉ざされていたことが、逆に青年将校の政治的行動の暴発につながった側面がある。(p228)

(4)二・二六事件の将校及び北・西を裁いた軍法会議は、3月4日に公布された緊急勅令によるもので、戒厳令(行政戒厳)とは関係ない。裁判長であった吉田めぐむ(直の下に心)陸軍少将は、北、西の死刑判決に対して、せいぜい従犯であって不当と考えたが、陸軍中枢の圧力から10ヶ月延期して1937年8月14日に死刑判決を下した。なお、吉田少将は日本で初めての機甲本部をつくった才覚のある人物だったが、中将で終わっている。(p216)

(5)二・二六事件勃発至に内大臣が襲撃されたため、実質的な内大臣の役目をした木戸内大臣秘書官長が、事件勃発直後に「現内閣の辞職を許さないこと」「天皇の方針を反乱一本に絞る」という方針を起案し、天皇の了解をえて、天皇はこの筋から一歩も譲歩しなかったこと。(p147)

 この本では、あまり分析されていないが、青年将校は天皇主体による「維新」を目指しており、その手段として重臣、特に総理大臣を殺害して、新たな真崎を中心とする軍事内閣を成立されようとした。

 すなわち、「維新」という言葉には、軍事テロが内在しているという歴史的事実はきちんと押さえておきたい。また、司馬遼太郎では革新的ととらえられている明治「維新」も、当時の体制側であった、徳川幕府及び幕府と公武合体を目指していた孝明天皇にとっては、軍事テロの連続であったことも忘れるべきではない。

 あまり、安易に「維新」という言葉を使うのは、歴史学の最近の成果を踏まえていないといわれても仕方ないと思う。
スポンサーサイト
pagetop

コメントの投稿

非公開コメント

pagetop
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
電力使用状況&電気予報
プロフィール

佐々木晶二

Author:佐々木晶二
現役国家公務員(現在研究休職中)です。
早朝、毎日、一冊以上の読書を目指しています。
今は、平日は、都市計画と東日本大震災関係の本を読んでいます。
休日は、海外情報、古典、歴史など、幅広く教養をつけるための本を読んでいます。

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。