ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』を読んで、これも一種の江戸再評価の本だと思う。 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official

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2014/11/03

ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』を読んで、これも一種の江戸再評価の本だと思う。


鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫)鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫)
(1991/04)
ノエル ペリン

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 日本の戦国時代は、種子島で入手した火縄銃を様々改良を加え、江戸幕府の天草の乱までは積極的に活用。

 その後の、平和で外圧がない江戸時代では、幕府が鉄砲鍛冶を許可制にして、鉄砲鍛冶の刀鍛冶への誘導を図るとともに、鉄砲の所有を制限した。

 これが、著者からみると、ゼロ成長でも豊かな生活を維持していたこと、技術の進歩について西洋人のように受け身ではなく、進歩を止めることができた事例としている。(p150)

 やはり、日本が極東の辺境の地で1800年代に入って、外国船が日本近海に現れなかった、江戸の平和な100年間に特化した事象だと思う。

 また、鉄砲は、なにごとも、芸術的に昇華する「道」になじみにくい、テクニカルな武器であったことも、刀や槍、長刀などに比べて、それに執着する人民が少なかったということだろう。

 西洋の様々な技術発展、兵器の発展は、ヨーロッパで各国、各地域が分立して戦争ばっかりしていたから、技術が進歩したこと、フロンティアといて、アメリカやアジアに進出する進取の気性を重んじたこと、それを支える株式会社などの制度インフラがしっかりしていたことにある。

 今は、世界は、宇宙、深海、IT技術、遺伝子工学など、新たなフロンティアがあり、技術革新が進んでいる。こういうフロンティアが存在する限り、技術は進歩をやめないし、やめさせることはできない。

 江戸の平和100年は、特殊な事例として、考えるべきで、残念ながら、それが世界で技術進歩や兵器の進歩を止める前例になるとは思えない。残念だが。
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プロフィール

佐々木晶二

Author:佐々木晶二
現役国家公務員(現在研究休職中)です。
早朝、毎日、一冊以上の読書を目指しています。
今は、平日は、都市計画と東日本大震災関係の本を読んでいます。
休日は、海外情報、古典、歴史など、幅広く教養をつけるための本を読んでいます。

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