最近、自分の専門と違う分野の本を無作為に読んでいても、生物遺伝学かゲームの理論がしょっちゅうでてくる。ドーキンズの『利己的な遺伝子』では両方でてくる。
この本は、HONZの紹介。著者は肩書きがまったくない人だが、書かれている内容は深い。かつ、ものすごい量の生物進化論の本を読み込んでいるので、ドーキンズの理論がどういう位置づけかがよくわかる。
(1)ドーキンズの遺伝子レベルでの遺伝子生き残りが高まるように進化していくという考え方は今の生物進化論の主流らしい。
(2)その一方で、遺伝子が自分の遺伝子ができるだけのこるように、適者生存していくことと、同時に、全く突然、理不尽ともいうべきある系統樹の生命が全滅するという歴史も繰り返している。
(3)素人的には、生存するのは環境に適合した遺伝子、そして何が適合した遺伝子かというとそれは生存したもの、というトートロジー的に理解されていて、それはそれで、進化生物学に内在する問題でもある。
(4)進化生物学というのは、ミクロで自然科学的に「自然を説明する側面」と同時に、人類その他の生命の「歴史を理解する」という二つの側面があり、後者の部分には、人の認識論もかかわってきて、それ自体をまったく自然科学的な視点から分析しきらないで、そこに二つの側面とそのバランスをとることの必要性をきちんと自然科学系の学者と歴史科学系の学者も認識しておく必要がある。このような、人間の認識論に接するきわどい学問だからこそ、人間を魅了する側面を進化生物学が持っている。
(5)後者の歴史を知る、了解するという歴史科学者的発想、文系的発想を持つことによって、理不尽な生命の断絶、滅亡に対する心の備えも可能となる。
(6)また、これだけ、生物進化学が学問の世界で大きな影響を持つようになると、学問をする時の問いかけとして、第一の「それは人間であることにどういう関係にあるか」に加えて「第二にそれは進化/進化論となんの関係があるのか」という問いかけが重要となってくる。
政策立論にあたっても、それは人間にどういう意味があるか、という問いに加えて、人間の進化という流れにどういう関係があるかを検証するくせをつけたい。
(参考文献)ドーキンズ『延長された表現型』『盲目の時計職人』『祖先の物語』『神は妄想である』、松本俊吉『進化という謎』ワールドロップ『複雑系』阿部謹也『ハメルーンの笛吹き男』『中世の星の下で』『もうだまされないための科学講義』
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