服部英雄『蒙古襲来』を読んで、やっぱり神風はなかったのね。 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official

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2015/03/25

服部英雄『蒙古襲来』を読んで、やっぱり神風はなかったのね。


蒙古襲来蒙古襲来
(2014/12)
服部 英雄

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 最近でた本。新聞の書評とHONZで紹介していたので、衝動買い。

 文永の役で、第一回目の蒙古軍を一晩で神風が敗退させたというのは、「八幡愚童訓」という八幡神の偉功を示す本だが、実録としての価値はないとのこと。「勘仲記」や「蒙古襲来絵詞」などをベースにすると、文永11年10月20日上陸、20日深夜夜戦、24日太宰府会戦、27日ごろ撤退とのこと。(p116)
 ちなみに、西暦では10月20日は11月26日なので、台風はこの時期ありえない。(p162)
  
 また、蒙古軍に対して、「やあやあ」といって戦いを武士が挑んだというのも誤解、神話で主に夜戦を双方ともしかけたとのこと。

 弘安の役では、蒙古軍が東路軍と江南軍にわかれ、前者は5月3日対馬到着、8日までに全島掌握、15日に壱岐、26日に志賀島、6月6日に志賀島増派、6月27日に一部が鷹島に移動、後者は7月15日に鷹島到着で、閏7月1日台風と想定する。

 6月6.8日に志賀島での合戦、6月29から7月2日まで壱岐島合戦で、日本が反撃をした。7月1日の台風は蒙古と日本に同等の被害をもたらしたが、7月7日の鷹島合戦では、日本軍が一日で圧勝した。

 その他、そもそも文永の役のきっかけは、日本が南宋に対してコメと火薬の原料である硫黄(中国ではあまり産出しない)を押さえようとしたこと、当時の満干潮の時期から夜戦の日時を特定するなど、説得力ある記述おおし。

 弘安の役では、蒙古の騎馬の進入を防ぐための石築地(1.5m程度)を整備するなど、万全の措置を日本が講じた結果でもあり、かつ、当時奮戦した武士からすれば、台風のおかげで勝てたというのは自分の武勲にもかかわるので、神風のような発想は当時は存在しなかった模様。

 なんだか、高校の日本史の教科書も書き換えが必要か?小生の手元にある「詳説日本史研究」(山川出版社2008年版)p151では文永の役は一晩で退却、弘安の役も7月の台風で元の大船団が壊滅したと書いてあるが、確かに、一日で帰国するとか、蒙古軍だけが台風に影響を受けるとか、指摘されるとそもそもおかしい歴史だなと思う。「神風」バイアスだね、きっと。

 
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佐々木晶二

Author:佐々木晶二
現役国家公務員(現在研究休職中)です。
早朝、毎日、一冊以上の読書を目指しています。
今は、平日は、都市計画と東日本大震災関係の本を読んでいます。
休日は、海外情報、古典、歴史など、幅広く教養をつけるための本を読んでいます。

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