2015/04/03
『大規模震災と行政行動』を読んで、大上段の憲法論は立法政策に役立たない、もっと現場に即した議論が必要。
大規模震災と行政活動 (2015/03/20) 鈴木 庸夫 商品詳細を見る |
役所の本屋で衝動買い。
(1)第二章で鈴木康夫氏は、被災者支援法で小規模災害を適用除外していることについて、「不公平」だから訴訟に訴えれば勝てるという。(p35)
こういう大上段の議論は、立法担当者の心を動かさないし、訴訟になれば徹底的に戦うと思う。別に役人はいじわるしているのではなくて、被災者支援をするというのは、被災していない国民の負担で被災者にお金を強制的に再配分する制度なので、国がでていって再配分する規模の災害はここまで、地方公共団体で対応する規模の災害はここまでと決めていて、それ自体は立法裁量の範囲と主張すると思う。また、国民全体からしてみても、毎年自然災害に見舞われる日本の国土を前提にしたときに、小規模なものはその地域の地方公共団体で対応して、大きな災害については全国民で対応するという筋は、政治的にも理解しやすいと思う。
問題は、そのような立法の意図について、一刀両断で不公平というのではなくて、実態としてどういう場合に市町村や都道府県が対応できない場合が起きるのかという緻密が議論が必要だと思う。そうでないと、憲法学からなんの示唆も立法担当者はうけないと思う。
(2)鈴木康夫氏の災害緊急事態について、災対法では国民保護法の外国人医師の特例がないとの指摘については反省している。もう一度厚生労働省とちゃんと協議したい。ただし、「震災緩和の法理」のような、事実上、行政法規を大災害時に実態として緩和する議論(p67)については、よく理解できない。これは一種の戒厳令のような議論にもなるわけで、本来、今回、様々な特別法から通知レベルまで、緩和をアドホックに行ったものは、今後の大災害でも必要になるので、法令又は規則、さらには恒常的な運用通知など、様々なレベルで事前に恒久措置として制度化するというが筋ではないか。
(3)大脇成昭氏のボランティアの論考はよく実態も踏まえて、興味深い。有償ボランティアの提案なども納得感あり。ただし、ボランティアに対する国家の指揮命令権の議論(p159)は、もうちょっと慎重に考えるべきではないか。理論的にどうこうという議論は学者にお任せするが、実態として、まさに互助、共助の精神で参加してくれる方々の力がこれからもっと必要になるときに、国の指揮命令権にいざとなったら入ってくださいといったら、その意欲が萎えるのではないか。自分ならちょっとびびると思う。
あと、大事な論点として、大脇氏は、個人又はその団体としてのボランティアを議論しているが、東日本大震災では企業が社会貢献として、応急段階、復旧段階、復興段階で大活躍した事実があり、その点の論究も深める必要があると思う。
例えば、内閣防災がプッシュ型の物資や人員の投入計画を作ったが、プッシュ型で物資や人員がきた場合には被災地の行政職員ではその受け入れができない。例えば東日本大震災では体育館に山積みの物資をクロネコや佐川のプロの社員が分別、配送の手配をしていただいた。それがなかったら、きっと物資は腐ってしまっていたと思う。そういう会社ぐるみの被災地支援にも、一部記述があるが、個人と同等に企業の社会貢献活動にももっと丁寧に光をあててほしいと思う。
全体を通じて、やや高踏的、上から目線、もっちょっと穏当にいうと、演繹的な論考が多いように思う。法学はそもそも自分のバックボーンなのでちょっと残念。ただし、他の分野に比べて、そもそも法学者の震災関連論考をきちんと読んでいなかったので、参考文献を列記しておく。
「公法研究76号(2014年)」「自治研究88-8、9」『東日本大震災における行政の役割』(ぎょうせい)、『3.11と憲法』(日本評論社)、『日独公法学の挑戦』(日本評論社)
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